近所の史跡
≪古淵一本松跡≫
駅からの途中にあります
磯部街道の目印だったそうです
…数年前まであったような…
周りを造成する際にバサバサ切っていました…
≪龍像寺≫
淵野辺の名前の由来となった武将・淵辺義博が
このあたりに住んでいた龍を退治し、
頭・胴・尾に分けて祀ったお寺という
伝説が残っています。
現在は胴を祀ったここだけが存在します。
一番大きなランドマークですが、
幼い頃嫌な思いをしました。
その辺のことはブログに書いています


≪龍像寺坂≫
そのような名前が付いているとは知りませんでした。
これも古淵からいらっしゃる際のランドマークになります。
左は以前のもの。最近(2016年夏)新しくなりました。
≪縁切り榎と中里橋≫
これも昔からあってもあまり立ち止まらなかった史跡です
護良親王を例の淵辺義博が主人を裏切り龍像寺裏にかくまって、
石巻に逃がすのにここで妻子と別れたというのが概要です。
昔はこのあたり、なんにもなかったでしょうね…
それにしてもいつの間に榎は貧相になったのかしら。
(前は立派に葉を茂らせていました)
そうそう、中里橋も昔は板橋だったようです。
(私がよちよち歩きのときのこの際で撮った写真が残っていました)
≪土器の出土≫
すぐお隣の町田市木曽では土器や
住居跡が出土しています。
そんなことで木曽中学校校門横に
それを記す石碑が設置されています。
が、いつの間にこんなに汚くなったの
でしょうか・・・
もう文字も読めない…

そういえばその坂の上のコンビニが
出来る前に発掘しているのを
今はいない愛犬の散歩で見かけました。
犬に「もう行こう」と引っ張られても
発掘作業にあこがれていたワタクシは
ずっと眺めていましたA(^^;)
≪木曽一里塚≫
町田側ですがここも散歩距離です
八王子〜横浜までの絹の道の道標でもありますし
府中通り大山道の道標でもあったのでしょう。
場所はTSUTAYA交差点から町田街道へ抜ける道の途中
このあたりは神社やお寺も多いでです。
(そのうちまたアップします)

≪八王子千人同心旧家≫
歩いて10分ほどのところにある史跡。
そのまま引用しますと
「徳川家康の江戸入府後、武蔵・甲斐の国境警備のため
武田家の遺臣を中心に構成された百人一組で十組
合計千人の集団でした」
同時に農耕に従事したとか。
兵農分離のはずなので特殊存在ともありました
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